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考えられない
山梨リハビリテーション病院に転院したのは6月、発症して約3週間経った時だった。この病院はとても快適で、ちょっとしたシティーホテルのようだった。初日は看護師さんが入院生活の説明とお医者さんの診察、担当療法士さんとの挨拶程度だったので、次の日から続く過酷な日々(学生時代の部活より辛い)を想像できず、空調が効いた病室で静かな午後を過ごした。
ST「言語聴覚療法」…なんだそれ? 翌日から開始したリハビリは言語聴覚療法からだった。言語聴覚士は若くて美人な先生だった。一通りの質問(名前や住所など)にたどたどしく答えて(自分では答えたつもり)、「これは何ですか?」と絵を見て答えることをした。判っているのに名詞が出ない…、「アレ…ほら、アレ…」。うーん困った。でも、これは自分でもこうなることを予想できたから想定の範囲だ。もっとショックな出来事は次の質問だった…。
「6月で連想することを答えて」
「6月…6月…やばい…」何も考えられない! 先生が「雨」と答えを一つ出 |
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してくれた。「あとは…?」「…雨しかないじゃん…」「あとは雨から連想すればどうですか?…傘とか長靴とか…」。
結局なにも答えることが、考えることができなかった。これは私にとってショックであり、職業柄この「考える」という思考が最も重要で、それができないとなると社会復帰の道を原点から考えなければいけない… 「あれ、待てよ?」「考えなければいけない…のに、考えられない…???」「うーん、これってどうなの?」「考えられないから考えなければいけない…考えることができれば考えなくても良いんじゃないかぁ…?」面倒臭いから「考えなくても良い」に答えを追いやった。
先生 私 私(頭の中)
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